もんもんlog

発達障害関連と雑記。

ADHD所感

いつもの調剤薬局に行ったらいつもありがとうございますとか言われちゃったテヘペロ

 

私はADHDだ。つい最近診断されて、そういう事になった。

それまでは10年位ずっと専業主婦で仕事らしいことは何もしていなかった。

主婦としては元々頑張らないタイプだし、特に家事が好きでもないので、はなからソコソコでいいや、とか思っていたものだから、「私は家事もできない」などと悩むこともなく、できる時、したい時にすりゃぁイイじゃんということにしていた。

そんなわけでADHDかもしれない等と悩むことはなかった。もしずっと主婦をしていたとしたらきっとそのまま治療もしなかっただろう。気づくこともなく。ADDに気づく前に認知症を発症していたかもしれない。

物忘れは多めだなぁとは自分でも思っていたけれども、元々アルツハイマーが出る家系だから、そもそも忘れっぽいのかもしれないし、人生には色々、本当に個人的には色々な大事件があったから、脳にダメージが出てるんだろう、それに主婦で頭使ってないし、くらいに思ってた。

 

 問題が表面化のは事務仕事を始めたからだ。ADHD(私はADDだが)に入力作業や会計処理や役所の書類の制作は鬼門である。締め切りを過ぎて督促がきてからやっと始めたりすることもあるし、うっかり税金を払うのを忘れたりすることもあるし、入金したつもりが計算間違えたり、銀行の口座が合わなかったり、何の引き落としだったか忘れたり、書類の不備があったり、はんこを間違えたりする。時間の使い方の下手さ下限は絶望的だ。

一般的にこれらはADDの諸症状と言われるものに一致する。

それでも私は工場の仕事とかだったらうまく出来ているような気がする。私は器用だし、美術のセンスがあるタイプだし、作り物は楽しいのだ。作り物は一つのことに集中してれば良いし、集中していれば作業効率も良くなるものだ。

 

 しかし現状としては事務を継続しなくてはならない。対処するためにストラテラを飲んでいる。

薬をのむ限りは、「問題に対応できた」「問題が解決できた」「症状が緩和された」「症状が良くなった」「症状が治ったように見える」という状態に持って行かなくてはならない。

私は以前「普通以上になりたい」と書いたけれども、ではどういう状態だったら「普通」なのだろうか?

ダニエル・G・エイメンによると「完璧な脳」の人というのはとても少ないものらしい。

できるなら「完璧な脳」と称される脳が持ちうる力の100%を利用できたら良いのにと思う。そしてその「完璧で普通の脳」を持った状態がどういう物かを知らなければ、「薬が効いている」という事を判断できないのではないだろうか?

例えば今日私は集金に行って自分の財布を鞄に入れ忘れ(だから鞄から財布を出すなとあれほr・・・)、そのまま買い物をしてしまい取り置きしてもらい後から払いに行く、なんて事をしてしまったのだが、「普通の人」は一生に一度もそんな事はないのだろうか?

例えばExcelにデータを打ち込む時、一行ずれて入力していたりとか、ちょっとした誤字脱字があったりとか、とにかく完成したと思っても絶対にどこか間違いが発見されるというのは、「普通の人」には無いことなのだろうか?

間違いがあったとしても1000に一回とかなのだろうか?私はほぼ毎回ミスが発見されるのだが。

「ここまでできればOKだ」とどうやったら言えるのだろうか?

文書作製自体は上司がOKだといえばOKなのだとも言えるだろうが、薬の量を勘案するに当たり、「これならば大丈夫だ」とどこまで行けば言えるだろうか。

(※これについては自分が完成したと思った時にミスが無くなっていれば良しと言える) 

 

『人間のすることに100%はない』というように、「普通の人」だって絶対にいくらかは失敗をするはずである。では「ADHD(ADD)の人」の間にある溝は如何程のものなのだろうか?

まさか、「普通の脳」もしくは「欠陥も欠損もない完璧な脳」の人はミスなどすることはなく、世の中で発生しているヒヤリ・ハット的な(ハインリッヒの法則を参照されたし)人為的ミスは全て発達障害の人のなせる技だったりするのだろうか?なんせ世の中にはADHDに気づかずにちょっとミスやムラが多いけれど放置しているっていう人が大勢いるはずなのだ。

だとしたらなんと罪深いことだろうか・・・