もんもんlog

発達障害関連と雑記。

ストラテラ折り返しの始まり(1)

いつも通りの会話の開始。

医者:どうです?効いてますか?

私:効いてません。

 

予約を忘れた

予約した日は金曜日。スッカリ忘れて次の週の金曜日に行った。

しかも、1週間遅れているのにも関わらず薬が「昨日まで飲んでました」

つまり飲み忘れが溜まっていたということだ。

流石に医者も完全に効いていないという言葉を信じざるを得ない様だ。

家人に聞いても特に変化なしとの事。

副作用も特に無し。

強いて言うならちょっと便が硬くなる・・・?とか。

残念だけど薬はやめましょう

これしか薬はないし(私のかかりつけ医はコンサータを処方できない)

なんとかして上限の更に上を処方できないか調べていたけれど無理だったので、

120mgだったのを減らしていこうという事になった。

いきなりゼロにすると問題があるかもしれないからとの事。

因みにちょっと忘れた日があっても何の問題もなかった。

(元からある問題以外はな!)

今は80mg飲んでいる。

無駄にお金がかかるだけなので、なるべくストンと減薬したいところだ。

別に私は問題なさそうなので、いきなりゼロでも良いのだが。

もしもゼロになった時点でADHD(ADD)が酷くなるようだとしたら

『気づいてなかったけれど実は効いてたんだ!』

と言うことができるんだけれどなぁ。

 

『効かないということは実はADHDじゃなかったとか!』

なんて脳天気な解決方法を考えてみたけれど、それは違う。

他人の変人臭を見分ける事ができるように、私も自分の変さがわかる。

でも障害というのは限りなくグレーなものだ。

人間の脳はとても曖昧だし、色々な発達の仕方をしているものだ。

自分の環境によってその発達で困らないことだって有る。

困らなければ障害ではない。単なる個性とも言える。

昔は誰がその個性の穴を埋めていたのだろうか?

社会が豊かで、個性を容認できるだけの寛容さを持ち合わせていたのだろうか?

 

「なるべく得意な事をやりましょう」というのが、実は簡単な解決法なのではないかと思う。若いうちに、自分の得意な分野で生きて生活していけるように環境を整えておくというのが、良い方法なのではないかと思う。